生命科学者からみた「サムシング・グレート」の世界 村上和雄 連載③
- 心と遺伝子アカデミー

- 4月6日
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1章 科学の向こうにある目には見えぬ存在
2. 人間業では為し得ない精巧さ
私たちが考える自然は、山や海などだが、このような自然がヒトの設計図を書けるわけがない。すると、これを書いた自然とはなんだろうと、考えさせられる。
今、私たちの目に見える自然の奥深いところに、見えない自然があるのではないか。そうでなければ、このような凄いことができるわけがない。単なる偶然やデタラメでは絶対にできないのだ。
細胞が生まれる確率は1億円の宝くじが100万回連続で当たったよりも不思議なことが起こったことになるのだ。
とにかく凄い世界であり、目に見えない自然の不思議な働きだ。少なくともこれは、人間業でないことは確かだ、人間にはヒトの設計図を書くことはできない。人間業を超えることを何というか。それは神業というのだ。
科学者は法則を発見したというが、発見する前に法則はあったのだ。法則はデタラメではありない。デタラメではないから法則なのだ。これを作ったのは誰か、どうしてできたのか誰も分からない。
私は一応科学者だから、あまり「神や仏」といわずに、その不思議な力を「サムシング・グレート」という言葉で25年前から表現している。
サムシング・グレート。サムシングだから、いまの科学では到底わからない、何か大変偉大な働きがあるということだ。
神様や仏様を信じるとか信じないとはほとんど無関係に、あなたの中にサムシング・グレートの働きがある。そうでなければ生きていられない。
サムシング・グレートは、完全にはわからないが、生き物の命の元の親のようなものだと私は考えている。私には両親がいる。両親にも両親がいた。ずーっと遡っていくと、どこかに命の元の親のようなものがあるはずだ。
宇宙はビッグバンから始まったといわれている。それならビッグバンの前はどうなっていたのだろうか。現在では、何も答えられない。
そして、物質から偶然に生命が生まれたという証拠も何もない。命は命から生まれたのかも分からないし、その元の命がサムシング・グレートなのかもわからない。
とにかく、今まで人類が考えてきた、あるいは信じてきた神様や仏様の、そのような働きがあることを私は感じている。
出典: Spirituality as a Way: The Wisdom of Japan 2021





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